2013年08月01日
【笑顔の筋肉運動】
「人の心に灯をともす」
田中真澄氏の心に響く言葉より…
独立以来、私が強く感じているのは、人生とは
「一引(いちひ)き 二運(にうん) 三力(さんちから)」
であるということです。
どんなに腕があっても、まずは「あなたを使ってあげる」と、人様に引っ張り上げてもらえる機会を得なければ、永遠に能力を発揮することは
できません。
そういう“引き”の機会をどうつくるか、それが人生の勝負です。
その一番のポイントが、ベドガーが一貫して説いている「積極的に生きる姿勢」「情熱」だと私は考えています。
なぜなら成功者ほど前向きに燃える人間であり、自分と同じように必死に生きる姿に共鳴共感して「おまえ、なかなかいいじゃないか」と
チャンスをくれるからです。
とはいえ、ベドガー自身は生まれもって情熱的だったわけではなく、「青年時代の私は無愛想で、ひねくれた性格で、人づきあいは悪く、
まことにもって可愛げのない若者だった」と著書に記しています。
人間誰しも「できればのんびりと生きたい」という、ある意味で怠惰な心を持っています。
畑に毎日雑草が生え、少し油断するとあっという間に増えていくように、心も放っておくとすぐに雑草が生え、怠惰な生活へと流れていきます。
毎日積極的に生きる、情熱的に生きるためには、まずは早起きをすること。
朝早く起きること自体、ゆっくり寝ていたいという怠惰な心との闘いです。
しかし、それに打ち克って早起きを続けた人のみが勤勉で積極的な人生を歩み、成功していくのです。
ベドガーは「6時クラブ」といって、毎朝6時までに起きることを周囲の人にも推奨しました。
早起きをして彼が何をしていたかというと、「笑顔の筋肉運動」です。
もともと無愛想で陰鬱な表情だったベドガーは、シャワーを浴びながら楽しい歌を歌ったり、鏡を見ながら愉快で明るい笑顔をつくる
訓練をしました。
「陰鬱な気分でいながら、愉快そうに笑うなんて、それこそ容易なことではない。
しかし私は、最初の決心のとおり、毎朝、非常に苦しい努力を続けながらも、自分で自分を訓練した」
ベドガーのこの一文からも、笑顔とは気分ではなく、意思によるものだということが分かるでしょう。
《ベドガーに学ぶセールスの極意・田中真澄》
『仕事力入門』致知出版社
フランク・ベドガーは怪我で野球選手から生命保険の外交員へ転身し、口下手で人見知りだったダメセールスマンから一念発起をして
全米一位の保険セールスマンとなった。
成功し、人から可愛がられるには、上司やまわりの人からの「引き」がなければ上に行くことはない。
スポーツの世界なら、監督の引きがなければベンチにさえ入れてもらえない。
どんな凡人であろうと、年中無休で、朝から晩まで、必死に練習したり、働く姿を見せるなら、ほとんどの人は恐れ入りましたと、「マイッタ」する。
その才能にではなく、その必死さと、情熱に負けるからだ。
「商は 笑なり 勝なり
笑顔は最大の集客力」 (田中真澄)
笑顔を身につけるには、早起きして「笑顔の筋肉運動」をすること。
情熱と笑顔があれば、何でもできる。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
↓
http://www.facebook.com/hitonokokoro
田中真澄氏の心に響く言葉より…
独立以来、私が強く感じているのは、人生とは
「一引(いちひ)き 二運(にうん) 三力(さんちから)」
であるということです。
どんなに腕があっても、まずは「あなたを使ってあげる」と、人様に引っ張り上げてもらえる機会を得なければ、永遠に能力を発揮することは
できません。
そういう“引き”の機会をどうつくるか、それが人生の勝負です。
その一番のポイントが、ベドガーが一貫して説いている「積極的に生きる姿勢」「情熱」だと私は考えています。
なぜなら成功者ほど前向きに燃える人間であり、自分と同じように必死に生きる姿に共鳴共感して「おまえ、なかなかいいじゃないか」と
チャンスをくれるからです。
とはいえ、ベドガー自身は生まれもって情熱的だったわけではなく、「青年時代の私は無愛想で、ひねくれた性格で、人づきあいは悪く、
まことにもって可愛げのない若者だった」と著書に記しています。
人間誰しも「できればのんびりと生きたい」という、ある意味で怠惰な心を持っています。
畑に毎日雑草が生え、少し油断するとあっという間に増えていくように、心も放っておくとすぐに雑草が生え、怠惰な生活へと流れていきます。
毎日積極的に生きる、情熱的に生きるためには、まずは早起きをすること。
朝早く起きること自体、ゆっくり寝ていたいという怠惰な心との闘いです。
しかし、それに打ち克って早起きを続けた人のみが勤勉で積極的な人生を歩み、成功していくのです。
ベドガーは「6時クラブ」といって、毎朝6時までに起きることを周囲の人にも推奨しました。
早起きをして彼が何をしていたかというと、「笑顔の筋肉運動」です。
もともと無愛想で陰鬱な表情だったベドガーは、シャワーを浴びながら楽しい歌を歌ったり、鏡を見ながら愉快で明るい笑顔をつくる
訓練をしました。
「陰鬱な気分でいながら、愉快そうに笑うなんて、それこそ容易なことではない。
しかし私は、最初の決心のとおり、毎朝、非常に苦しい努力を続けながらも、自分で自分を訓練した」
ベドガーのこの一文からも、笑顔とは気分ではなく、意思によるものだということが分かるでしょう。
《ベドガーに学ぶセールスの極意・田中真澄》
『仕事力入門』致知出版社
フランク・ベドガーは怪我で野球選手から生命保険の外交員へ転身し、口下手で人見知りだったダメセールスマンから一念発起をして
全米一位の保険セールスマンとなった。
成功し、人から可愛がられるには、上司やまわりの人からの「引き」がなければ上に行くことはない。
スポーツの世界なら、監督の引きがなければベンチにさえ入れてもらえない。
どんな凡人であろうと、年中無休で、朝から晩まで、必死に練習したり、働く姿を見せるなら、ほとんどの人は恐れ入りましたと、「マイッタ」する。
その才能にではなく、その必死さと、情熱に負けるからだ。
「商は 笑なり 勝なり
笑顔は最大の集客力」 (田中真澄)
笑顔を身につけるには、早起きして「笑顔の筋肉運動」をすること。
情熱と笑顔があれば、何でもできる。
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2013年05月01日
【自分にちょうどいい人】小林正観さんの心に響く言葉より…
アメリカの大リーグのピッチャーが、記者から「イチロー選手をどう思いますか」と質問を受けることがあります。
その時にもし「彼なんか簡単に打ち取ることができますよ」と答えて、ホームランを打たれたら、その人は格好が
つかなくなるでしょう。
結果的に、その発言が自分の評価を下げることになります。
ほとんどの人がイチロー選手のことを
「とても素晴らしい選手で、こんなに天才的なバッターはいない。
百年に一人ぐらいの逸材だと思う」
と褒めます。
そう言うのは、「自分も認めた天才」から打ち取ったら、自分が格好いいということになるからです。
アメリカ人は、このような褒め方を損得勘定として使いこなしているように思えます。
相手を褒めれば褒めるだけ、自分の価値が高まるということをわかっている。
イチロー選手から三振を取った時、褒めた自分の価値が高まることを知っているのです。
講演会の後などに「姑(しゅうとめ)はイヤな人なんです」と相談に来る人がいます。
このように、自分のすぐそばにいる人の愚痴や悪口を言うことは、自分の価値を低めているということに
気がついたほうがいいかもしれません。
夫、子ども、会社の人、友人… まわりの人すべてが素晴らしい人に囲まれている、と言ったとしましょう。
聞いている人はその人のことを、その素晴らしい人たちに見合った人だと思うのではないでしょうか。
愚痴や泣き言を言ったり、まわりの人の悪口を言うことで、いちばん損をしているのは自分。
なぜなら、悪口を言ったその相手と自分は、同じレベルだと公言していることになるからです。
夫、子ども、会社の人、友人…。
私のまわりにいる人は、みんな素晴らしいと褒めれば褒めるほど、その素晴らしい人たちと同じように、
あなたも素晴らしい人なんだと繋がっていく。
人の悪口を言わない人には、悪口を言わない友人が集まってきますし、人の悪口ばかりを言っている人には、
悪口ばかりを言う友人が集まります。
毎日が嬉しくて楽しい、と思っている人は、そう思って過ごしている幸せな友人に囲まれるということ。
私たちは、自分にちょうどいい人に囲まれています。
『「今」という生きかた』廣済堂文庫
自分の選んだ、学校や会社、友人や、配偶者の悪口を、外に向って言う人は、「自分も同程度にひどい」、
と言っていることに気がつかない。
「悪口」、「文句」、「不平不満」、「愚痴」、「泣き言」、「ゆるせない」、という相手を非難し、暗くする言葉。
悪口や非難は、それが公の発言になればなるほど、自分の品位や評価を落とすことになる。
これは個人のレベルだけでなく、会社や国としての発言も同じ。
悪口を言えば、悪口に見合った出来事が次々と起こる。
感謝すれば、感謝に見合ったことが起こる。
人生は、自分にちょうどいい人が集まり、ちょうどいいことが起こる。
2013年04月14日
【人の邪魔をしないで生きるには】
邑井操氏の心に響く言葉より…
「現代の日本の画家で、東山魁夷ほど多くの愛好家をもち、共感者に包まれている作家はない」
と、美術評論家の河北倫明さんは言うが、その原因は強烈すぎないことにあるのではないか。
東山さんは自分の絵について言う。
「私の絵は静かで、穏やかな絵が多い。
迫力をもって迫る絵ではない」
「結局、絵は描く人と見る人との間に成り立ちます。
大きな声を出したら受けとめてくれるとは限らない。
自己主張の強い絵でないと芸術ではない、という意見がありますが、自己主張を捨てるところから出発する芸術が
あっていいと思うのです」
東山さんは早熟の天才画家ではない。
画才が花咲くのは30歳代の終わり、戦後になってからだという。
天才肌の短距離ランナーではなく、
「どちらかどころか、まったくの長距離ランナーです」
「それまでの私は、いい絵を描いて世の中に認められようとしていたことが邪魔になったのです。
赤紙(召集令状)がきて、絵を描くどころか生きることもできなくなって、ドン底に落ちることではじめて
心が純一になったと思うのです」
芸術家にみられる「気むずかしさ」「ずぼら」「わがまま」といった点が全くなく、毎日規則正しい生活をつづけている
常識家といえる。
深夜1時すぎまで制作にうちこむ。
海1つ山雲1つ描くために半年も1年もかけて全国をスケッチして歩く。
日々これ精進につきるのだ。
ある評論家が、ある日述懐していった。
「女房がねえ、おとうさん、売りこまないでとうとう売れたわね、と言いましたよ。
よく見ています。
ぼくは売りこみができぬ男だから」
と、笑っていた。
両者とも人を押しのけ、かきわけて世に出ようとする男ではない。
それでいて確実に己の地歩を踏みかため、人気は高い。
独自のものを身につければ、人を傷つけなくても悠々と生きられる。
そこに世の中のおもしろさがある。
つまり「人の邪魔をしないで生きるには、人のやらないことをするほかはない」のだ。
個性の強さで自己主張をして生きるのもむろん1つの方法だが、自己主張を捨て、大衆と同化してしまう生き方も
1つの方法だ。
それが「東山画伯の絵は一種の宗教画だ」と川端康成に言わせ、現代人にとっての精神安定剤といわれるほどの
大きな特色となれば、こんな素晴らしいことはない。
『遅咲きの人間学』PHP文庫
今の時代は、売らんかなの人は多い。
売りこまなけば、売れないとばかり、必要以上に派手な演出をしたり、宣伝をする。
しかし、商売の理想は、小道の路地裏に店があろうとも、また宣伝1つもせずとも、顧客自らそこを探し当てて
くれるような店のことだ。
そのためには、店や商品自体に人を引きつける魅力がなくてはならない。
そして、その魅力の元になるものは、「どこにもない」、「他の誰とも比べようのない」、というオリジナリティだ。
「人の邪魔をしないで生きるには、人のやらないことをするほかはない」
たとえ今の時勢に合わずとも、独自の道をゆく人は、いつか必ず花開く。
「現代の日本の画家で、東山魁夷ほど多くの愛好家をもち、共感者に包まれている作家はない」
と、美術評論家の河北倫明さんは言うが、その原因は強烈すぎないことにあるのではないか。
東山さんは自分の絵について言う。
「私の絵は静かで、穏やかな絵が多い。
迫力をもって迫る絵ではない」
「結局、絵は描く人と見る人との間に成り立ちます。
大きな声を出したら受けとめてくれるとは限らない。
自己主張の強い絵でないと芸術ではない、という意見がありますが、自己主張を捨てるところから出発する芸術が
あっていいと思うのです」
東山さんは早熟の天才画家ではない。
画才が花咲くのは30歳代の終わり、戦後になってからだという。
天才肌の短距離ランナーではなく、
「どちらかどころか、まったくの長距離ランナーです」
「それまでの私は、いい絵を描いて世の中に認められようとしていたことが邪魔になったのです。
赤紙(召集令状)がきて、絵を描くどころか生きることもできなくなって、ドン底に落ちることではじめて
心が純一になったと思うのです」
芸術家にみられる「気むずかしさ」「ずぼら」「わがまま」といった点が全くなく、毎日規則正しい生活をつづけている
常識家といえる。
深夜1時すぎまで制作にうちこむ。
海1つ山雲1つ描くために半年も1年もかけて全国をスケッチして歩く。
日々これ精進につきるのだ。
ある評論家が、ある日述懐していった。
「女房がねえ、おとうさん、売りこまないでとうとう売れたわね、と言いましたよ。
よく見ています。
ぼくは売りこみができぬ男だから」
と、笑っていた。
両者とも人を押しのけ、かきわけて世に出ようとする男ではない。
それでいて確実に己の地歩を踏みかため、人気は高い。
独自のものを身につければ、人を傷つけなくても悠々と生きられる。
そこに世の中のおもしろさがある。
つまり「人の邪魔をしないで生きるには、人のやらないことをするほかはない」のだ。
個性の強さで自己主張をして生きるのもむろん1つの方法だが、自己主張を捨て、大衆と同化してしまう生き方も
1つの方法だ。
それが「東山画伯の絵は一種の宗教画だ」と川端康成に言わせ、現代人にとっての精神安定剤といわれるほどの
大きな特色となれば、こんな素晴らしいことはない。
『遅咲きの人間学』PHP文庫
今の時代は、売らんかなの人は多い。
売りこまなけば、売れないとばかり、必要以上に派手な演出をしたり、宣伝をする。
しかし、商売の理想は、小道の路地裏に店があろうとも、また宣伝1つもせずとも、顧客自らそこを探し当てて
くれるような店のことだ。
そのためには、店や商品自体に人を引きつける魅力がなくてはならない。
そして、その魅力の元になるものは、「どこにもない」、「他の誰とも比べようのない」、というオリジナリティだ。
「人の邪魔をしないで生きるには、人のやらないことをするほかはない」
たとえ今の時勢に合わずとも、独自の道をゆく人は、いつか必ず花開く。
2013年03月20日
【簡単なことは、やらないことも簡単】
鈴木領一氏の心に響く言葉より…
「簡単なことは、やらないことも簡単。
だから皆やらない。
やった人だけが成功する」
これはアメリカでも最も有名なモチベーターで多くの成功者を育てたジム・ローン(故人)から
直接教わった言葉です。
ジムは、次のようなたとえで教えてくれました。
「リンゴを毎日一個食べると健康にいいですよ、という話を聞くと、そんな簡単なことなら私でもできる、
とほとんどの人が言う。
だけど、本当にやる人はほんのわずかだ。
簡単なことはやらないことも簡単だからだ。
リンゴを食べることすら毎日実践しないのだから、ましてや人生に関わることができるはずがない。
でも成功する人は、簡単なことを毎日やっている。
成功する人は難しいことを毎日やっていると考えているのは、簡単なことさえやらない人の方だ」
私たちは簡単なことをしていないから、人生を難しくしているのです。
「そんな簡単なこと誰でも分かっているよ」と言う人の95%は、そんな簡単なことさえやったことが
ないのです。
そして、まるでやったことがあるかのように堂々と嘘を言うのです。
だから、昨日と同じ自分が死ぬまで続いていくわけです。
わずかなことの繰り返しが、凡人を偉大な人物へと昇華させてくれるのです。
『100の結果を引き寄せる1%のアクション』CYZO
たとえば、ダイエットの成功法を聞いてくる人のパターンは3つに分かれる。
一人目は、「すごいね。そんなにやせたの。でも、そんな急にやせると体によくないんじゃない」
二人目は、「すごいね。私もやってみようかな。でも食べるの好きだからやっぱりだめ」
三人目は、「すごいね。分かった!今日からやってみる」
ほんとうにやせたいのなら、三人目の人のように、たった今から行動する。
やせることは、簡単なことを毎日継続するだけだらかだ。
そして、たいていは、一人目の人のように、最初から自分はやせる気はなくて、
逆に、やせた人を否定したり、非難する。
二人目の人は、非難しないだけましだが、これもやせる気が元々ない。
「簡単なことは、やらないことも簡単」
変化を恐れず、簡単なチャレンジを毎日継続して続けたい。
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2013年03月18日
【許しおおす】伊勢の父、修養団の中山靖雄氏の心に響く言葉
私のところへ勉強に来られていた高円寺さんというご夫婦がおられました。
この高円寺さんの5歳の娘さんが突然交通事故に遭い、亡くなってしまったのです。
その時、事故を起こした人が警察にいるということを聞いて、このご夫婦はその人に会いに行かれました。
そして、どうされたかというと、このご夫婦はその事故を起こした方に向って、土下座をして、
お詫びされたのです。
「こういう縁にあわせてしまってごめんなさい。
こういう縁にあう子どもを育てたのは私の因縁です。
どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世のため人のためになってください。
本当にごめんなさい」
このように謝られたのです。
ご夫婦には、悲しみも、許し難い思いも当然あったでしょうが、命が生まれてきた理由を本当に
学びきっておられたのですね。
頭でわかっていても、実際にそんな目にあった時に、本当にそう思えるかどうかということが
難しいわけです。
ご夫婦は普段からそのような生き方をしていたからこそ、その時にそいう思いが湧かされたのでしょう。
「許す」ということの大切さはみんな知っているかもしれません。
しかし、「許すこと」「許しきること」さらに、「許しおおすこと」は深さが違うのです。
この「許しおおす」という世界は、このご夫婦のようなことをいうのかなと深く感じさせられました。
その高円寺さんご夫婦が、この前会いに来てくださってこういうお話をしてくださいったのです。
「あの事故から30年経ちました。
あの子の30年の命日に娘のお墓参りに行ったのです。
お墓参りに行くと、新しいお花がお供えしてありました。
ああ、誰かがお花を取り替えてくれたのだなぁと思って、いったん帰りかけたのですが、
ふともう一度お墓に寄ってみたんです。
すると、雨降りの中、娘のお墓に一生懸命拝んでいる人がいたのです。
ああ、あの人が花を替えてくれたんだなと思って、よく見てみたら、娘を轢(ひ)いた相手の方
だったのです」
とおっしゃいました。
相手の方を見てびっくりした奥さんは、
「お墓参りをしてくださって、あなたもお詫びをしてくれていたのですね。
本当にありがとうございます」
と声をかけられたのだそうです。
すると、相手の方も驚かれ、
「お母さんでしたよね。
ごめんなさい」
と謝られたあと、
「ここで会えると思いませんでした。
あの後、一度たりとも事故を起こしたことを忘れたことはありませんでした。
私が悪かったのです。
本当にごめんなさい。
奥さんとご主人の愛に包まれて、俺はどんなことがあっても人を許さなければいけないだと思って
生きてきました。
そして、娘さんを神様みたいに思って、毎日お詫びをして生きてきました。
お目にかかれて嬉しかったです。
ありがとうございます」
とお礼を言ってくださったそうです。
『すべては今のためにあったこと』海竜社
自分の娘を殺され、その相手を許すとは…
「許しおおす」という凄(すさ)まじいまでの許しの世界だ。
「そんなことは絶対に許さない」などと、些細なことを許さない自分は如何に小さい人間か。
許しとは逆の世界が、恨み、憎しみ、怒り、そして相手に思いしらせ、敵(かたき)をとる、
という攻撃の世界だ。
許さなければ、怒りと攻撃の世界はずっと続く。
それは結局は、まわりまわって、自分の身をボロボロにしてしまう。
欧米諸国にならって、昨今はこの日本でも訴訟が多く起きている。
「許しおおす」という深い世界を、今一度かみしめてみたい。
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http://ameblo.jp/hiroo117
この高円寺さんの5歳の娘さんが突然交通事故に遭い、亡くなってしまったのです。
その時、事故を起こした人が警察にいるということを聞いて、このご夫婦はその人に会いに行かれました。
そして、どうされたかというと、このご夫婦はその事故を起こした方に向って、土下座をして、
お詫びされたのです。
「こういう縁にあわせてしまってごめんなさい。
こういう縁にあう子どもを育てたのは私の因縁です。
どうぞあなたは安心して、このことを忘れて、世のため人のためになってください。
本当にごめんなさい」
このように謝られたのです。
ご夫婦には、悲しみも、許し難い思いも当然あったでしょうが、命が生まれてきた理由を本当に
学びきっておられたのですね。
頭でわかっていても、実際にそんな目にあった時に、本当にそう思えるかどうかということが
難しいわけです。
ご夫婦は普段からそのような生き方をしていたからこそ、その時にそいう思いが湧かされたのでしょう。
「許す」ということの大切さはみんな知っているかもしれません。
しかし、「許すこと」「許しきること」さらに、「許しおおすこと」は深さが違うのです。
この「許しおおす」という世界は、このご夫婦のようなことをいうのかなと深く感じさせられました。
その高円寺さんご夫婦が、この前会いに来てくださってこういうお話をしてくださいったのです。
「あの事故から30年経ちました。
あの子の30年の命日に娘のお墓参りに行ったのです。
お墓参りに行くと、新しいお花がお供えしてありました。
ああ、誰かがお花を取り替えてくれたのだなぁと思って、いったん帰りかけたのですが、
ふともう一度お墓に寄ってみたんです。
すると、雨降りの中、娘のお墓に一生懸命拝んでいる人がいたのです。
ああ、あの人が花を替えてくれたんだなと思って、よく見てみたら、娘を轢(ひ)いた相手の方
だったのです」
とおっしゃいました。
相手の方を見てびっくりした奥さんは、
「お墓参りをしてくださって、あなたもお詫びをしてくれていたのですね。
本当にありがとうございます」
と声をかけられたのだそうです。
すると、相手の方も驚かれ、
「お母さんでしたよね。
ごめんなさい」
と謝られたあと、
「ここで会えると思いませんでした。
あの後、一度たりとも事故を起こしたことを忘れたことはありませんでした。
私が悪かったのです。
本当にごめんなさい。
奥さんとご主人の愛に包まれて、俺はどんなことがあっても人を許さなければいけないだと思って
生きてきました。
そして、娘さんを神様みたいに思って、毎日お詫びをして生きてきました。
お目にかかれて嬉しかったです。
ありがとうございます」
とお礼を言ってくださったそうです。
『すべては今のためにあったこと』海竜社
自分の娘を殺され、その相手を許すとは…
「許しおおす」という凄(すさ)まじいまでの許しの世界だ。
「そんなことは絶対に許さない」などと、些細なことを許さない自分は如何に小さい人間か。
許しとは逆の世界が、恨み、憎しみ、怒り、そして相手に思いしらせ、敵(かたき)をとる、
という攻撃の世界だ。
許さなければ、怒りと攻撃の世界はずっと続く。
それは結局は、まわりまわって、自分の身をボロボロにしてしまう。
欧米諸国にならって、昨今はこの日本でも訴訟が多く起きている。
「許しおおす」という深い世界を、今一度かみしめてみたい。
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